ミドルやシニア層が注意すべき多剤多量処方のリスクと医療機関の受け方

シニア健康

ミドルやシニア層以降になると、各所に老化現象があらわれだしたり、疾患を抱えたりする確率が高まるものです。このため、病院へと通う頻度も高まることになることでしょう。

病院など医療機関へと足を運び、医師の診断を受けるとともに、改善のためのアドバイスを受け、薬を処方されて帰るというのがおおよその流れでしょうか。

それから以降、処方を受けた薬を真面目に服用するはずです。この目的は当然のこと、いつまでも健康に生きるためであり、疾患を完治したいからであるはずであり、よってここには疑問を抱く人は少ないはずです。

しかし実際には、この部分において大きな問題が生じてしまうこともあるようです。

多剤多量処方のリスク

昨今、多剤多量処方が社会問題化しつつあります。多剤多量処方とは、本来必要となる数を超えた数の薬が処方されたり、本来必要となる量を超えて処方されることをいいます。

ミドル以降、シニア層となるに従い身体の各所に問題を抱えることになり、病院に通う頻度が高まることになります。たとえば、関節が痛いからと整形外科に、お腹が張るからと消化器科に、気分が優れないからと心療内科に、そして目が見えにくくなったからと眼科に通ったりします。

これら各々の科を受診した場合、おおよそは薬剤を処方されることになります。処方の際には、他にどのような薬を服用しているかを医師によって確認されることになりますが、副作用などの問題がなければ医師は、症状に応じてそれぞれに薬剤を処方することになることでしょう。

この際、胃に負担を掛けないための薬も処方されるかもしれません。しかしこれは同様に他の医師も危惧することです。よって同様の薬が処方される可能性もあるわけですが、高齢者がこれを確認することは困難を極めます。薬剤師の確認をすり抜けてしまうこともあります。

また、複数の病院に通院する場合、その都度、症状に変化がないかを確認されることになることでしょう。この際に、別の症状を訴えれば、新たな薬が処方されることにもなるはずです。
「加齢とともにあちこちにガタが来る。これらを治すためには致し方ない」
と、高齢者の多くはそうおっしゃり、日々忠実にそれぞれに処方した薬を服用します。

しかし、薬とは化学薬品の塊であるわけです。薬が部分的に症状を緩和させる一方で、身体は必死にこれらの化学物質を分解することになり、肝臓や腎臓に負担を掛けることになります。

しかも高齢者の場合、これらの臓器の機能は低下してきているわけですから、その負担は臓器に大きなダメージを与えることにもなりかねないわけです。

医師による専門外の処方リスク

医師は国家資格取得者であり、いわば医療のプロであるわけですから、専門外の処方などありえないはずです。しかし実際には、このようなリスクも存在し得るものです。

現在の医師は、それぞれに専門性を極める形でスキルアップを図ります。たとえば、内科医でも、専門が消化器科であったり、循環器科であることもあります。さらには、神経内科であるかもしれませんし、呼吸器科であるかもしれません。

それぞれに専門には高度なスキルや知識を有しているものの、それ以外については専門外として、基本的な知識を超えたものを持たないことも少なくありません。

しかし、専門性に特化した医師が後に内科クリニックいった広いくくりで開業に至ることが少なくありません。より多くの患者を集めるためには、幅広い症状を診察する必要が生じるからです。

ところがこれまで専門以外のことに関しては、日々スキルを積み上げているわけではないので、プロでありながら深い知識やスキルなしに診療するといったことも実際には生じるリスクがあります。

正常値を基準として処方がなされるリスク

病院へとかかれば、身体に問題がないかを検査することになります。たとえば、血圧や血液検査などを受けることで、おおよその検査値を医師が確認し、問題のある値を正常値へと戻すための治療や薬剤の処方がなされるはずです。

ところが、検査値における正常値を、端的に数値で判断されてしまうと、問題が生じることもあります。

たとえば、現在血圧の正常値は、収縮期血圧において130mmHg未満に設定されています。つまりこの正常値基準においては、130mmHg以上であれば、高血圧ということになります。

医師の判断において、正常値付近であれば、それを超えていたとしても様子見となることが一般的な診断といえます。しかしもし、正常値を超えているからと、その段階で治療の必要性を判断されたならどうでしょうか。

高齢者の場合、おおよそはこの値を超えてくるものですが、超えたから異常との診断がなされてしまったなら、健康体に対して薬剤が投与されることにもなりかねません。

これらの判断は、当然のこと医師に委ねられるわけですが、それが正しい判断であるか否かについては、患者側では判断がつかないといった問題があります。

処方された薬について患者側が学ぶ姿勢

医師によって処方された薬について、患者の素人判断において飲む飲まないを決定するのは危険と言えます。しかしだからと、処方された薬について、患者側がまったく知識なく服用するといった姿勢にも問題があろうかと思います。

現在、薬剤は医師によって処方されるとともに、調剤薬局において服薬指導のもとで患者に渡されることになります。また、服薬指導の際には、薬剤情報提供文書が提示され、これを元に薬の名称や効能効果、用法や副作用などについても指導がなされているはずです。

多くの人は、これらの情報について軽視しがちですが、自ら服用するお薬であるわけですから、しっかりと目を通して、何を処方され服用するのかについてもしっかりと把握しておくことが必要だと言えそうです。また、薬についての疑問があれば、医師に確認するなどの対応も重要となることでしょう。

なお、そうとはいってもこれを高齢者の方に強いるのは無理があります。

高齢者の場合には、家族がしっかりと処方され服用する薬について把握し、疑問点や多剤多量処方の可能性がある場合には、医師に確認するなどの患者側の姿勢が必要となります。

総合病院がないエリアの高齢者は元気?

町の財政悪化や過疎化などを原因として、総合病院がないエリアでは、高齢者が元気であると言った話があります。

総合病院がない場合であっても在宅医療に力を入れている地域は存在することから、総合病院がないことが高齢者を元気にしているわけではありませんが、それでも近くに病院がなければ、個々に健康を維持する必要性が高まることになります。
つまり、常日頃から個々の健康状態に気を使い、自立できる状態で高齢を迎える意識が強くなるわけです。

また、近隣にすぐにかかることのできる総合病院がなければ、自ずと病院に依存することはできません。このため、薬剤に頼る傾向も薄れることになるはずです。

個々に健康を維持する必要性が高め、しかも多剤多量処方のリスクを遠ざけることで、結果として健康な高齢者が増えているのだとするならば、そんな可能性を受け入れることの価値の認識も必要なのではないかと考えています。

日本には高度な医療技術があります。よって定期検診などを積極的に受けることで、早期発見などで命をつなぐことも可能となります。このため医療機関の活用を無碍に否定するものではありませんが、常に健康とはかけ離れた生活を続け、何かあれば医療や薬剤に依存するといった流れからは、個々に脱却する必要性があるのではないかとも思えるわけです。

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