「老害」という言葉を最近よく耳にするようになってきています。ちなみに老害とは、「自分が老いたのを気に留めず、周囲の若手の活躍を妨げることで生じる害悪」をいいます。
年上を敬うことなく「老害」と切り捨てる若者の見識の低さも気にかかるところですが、その一方で、老害といわれてしかりといったシニアの行動も多く目にします。
そこで今回は、若者から老害と言われないためのシニアの行動学についてお話を進めていくことにしましょう。
老害と言われかねないシニアの振る舞い
シニアの方の中には、「自分はまだまだ若いものには負けない」と思われる方も少なくないものです。実際、最近のシニア世代は体力もあり、自分でも老人だとは考えていない人が多いものです。
しかし、加齢とともに体力や知力は、おおよそ衰えていくものです。「老いは感じない」と断言する人であっても、自分が20代の頃をふりかえれば、そこには必ず老いを実感せざるを得ないはずなのです。
これはごく自然なことであるわけですが、中にはそれを断固拒否する人もいます。
年齢を経てなお若々しいことは悪いことではありませんが、それが周囲に悪影響を与えるとなると事態は少々難しいことになります。
さて、では一般に若者から老害といわれかねない振る舞いとは、どのようなものなのでしょうか。
周囲に対しての横柄な態度
「年齢が上」という理由だけで、周囲に対して横柄な態度を取るシニアの方が目立ちます。横柄な態度は、自己の弱さを隠すための行為であることを周囲は知り抜いていることがあります。ところが御本人はそのことに気づいていません。
敬語を使うことができない
単に態度が横柄であるというのみならず、敬語を使うことができないシニア層が目立ちます。誰と話す場合でも、あたかも自分が偉いかのような態度で接し、面識のない人に対しても敬語で接することができないシニア層が目立ちます。
社会的ルールを守らない
社会に生きるためには、各々ルールを守る必要があります。しかし、シニア層の方の中には、自分がルールと言った誤認識を持たれる方が目立ちます。
この傾向はシニア層のドライバーにも目立ちます。道を譲ることがなく、割り込みをしたり、あおり運転をしたりすることがあります。また、割り込まれるたことを激怒するシニアも目立ちます。
周囲の空気を読めない
感じる喜怒哀楽そのままに振る舞い、周囲の空気を読めないシニア層が目立ちます。話の中心となったことに高揚し、声を荒げたり失笑を買うような冗談を連発したりします。
若者に自分の地位を譲らない
「私はまだ若い」とばかり、若者に自分の地位を譲らないシニア層が目立ちます。シニアは、最前線の場を若者に譲り、むしろこれまでの経験則をうまく添加しながら若者と手を組む必要があります。しかしその領域を若者に手渡すことなく、すべてを自分で処理しようとしてしまう傾向が見て取れます。
老害と言われないシニアの行動学
さて、次にシニアが老害といわれないための振る舞いについて考えを進めていくことにしましょう。とはいえ、この答は実にシンプルです。それは、シニアになってなお「謙虚」であることで、おおよその問題を払拭することができるからです。
と、このように申し上げると「なぜ、私が謙虚でなければならないのか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、あなたが謙虚であることに問題はなんらありません。それは周囲の人々のために有効なことであり、それを承諾できないのは、唯一あなたご自身のみであるからです。
また、周囲の人に対しては、常に敬語を使うべきです。「君」付けではなく「さん」付けで相手の名前を呼び、しっかりと敬語を使うことが必要です。
社会的ルールを遵守します。常に周囲の空気を読むように配慮し、自分中心の行動は控える必要があります。
さらには、年齢とともに老いることを認識し、若者が活躍する場があれば、率先して自己の地位を若者へと譲ることが必要となることでしょう。
なお、シニアの場合、経験は豊富であるわけですから、経験によって若者に指導できる部分は多々あることでしょう。
謙虚でありながら、若者の話に耳を傾け、必要とあれば自らの経験を元に若者を指導することができれば、そこには老害といった若者の反応は皆無となるかもしれません。
まとめ
今回はシニア層が老害といわれないための行動について、考えを進めていきました。
老害の原因は、シニア層の横暴な態度やルールを無視した行動にあるように思います。よって、態度改め、周囲の人に対して謙虚に接することができれば、また、社会的ルールを率先して守ることをすれば、おのずと老害と呼ばれることはなくなるはずです。
シニアにおいては、誰もが徐々に能力的な衰えが進むものです。
そんな自然な流れに無理に抗うのではなく、むしろそんな自分を受け入れるとともに、足りない部分を若者と助け合って生きることができる社会の実現こそが現代には不可欠なのではないかと思えます。
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